2014年2月12日水曜日

問い合わせの回答 「昔の千里丘陵 失った道標?」 

問い合わせの回答 「昔の千里丘陵 失った道標?」 
の件です。 有難うございました。

 大阪府茨木土木事務所 より丁寧な回答がありました。 有難うございました。


(参考:『千里ニュータウン むかしのはなし』から抜粋)
「勝尾寺参道の要所々には道しるべがたててありました。東町にも一つありました。
みぎ、かちおじ、ひだり、のみち、とほった上に馬頭観音が刻まれていました。
この観音さんは道中安全の観音さんでした。その辺りの農家の人が、いつも石をきれいにし、土をもり、花などそなえていました。」

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ということで 失われた道標「上の立石」のことで私が知らない道標ではありませんでした。

その道標は現在はない 「上の立石」 千里東町の樫の木池の南東にあったとされています。
 本「野の仏」で紹介されています。

  
北摂の道標

で掲載しています。
石井俊子さんのこの「上の立石」のひだり、のみち」については
 本「野の仏」には記載がなく、写真からも
 「ひだり、のみち」というものは 読み取れない。のが私の現在の問題点です。

他の資料 豊中市教育委員会が出している「豊中の道標」では別な記載がされている
 http://space.geocities.jp/fkyws889/miti_toyonaka_sya.html#30


 

 

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